「かくかくしかじか」日高健三のモデル日岡兼三の家族は?妻や子供は?

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東村アキコさんの自伝的漫画『かくかくしかじか』は、漫画家を目指す東村アキコさんと、恩師の日高健三先生との出会いと成長を描いた感動作です。

この日高健三先生のモデルが、宮崎県で絵画教室を主宰していた日岡兼三さんです。

「日岡兼三さんには家族がいたのか?」「妻や子供はいたのか?」と気になりませんか。

そこでこの記事では、

かくかくしかじか」日高健三のモデル日岡兼三の家族は?妻や子供は?

と題して、日岡兼三さんの家族や妻(奥さん)、子供について、東村アキコさんの作品や公的な記録、各種インタビューをもとに詳しく解説します。

目次

日岡兼三の基本プロフィール

日岡兼三さんは1946年2月、満州・新京市(現・中国長春市)に生まれました。

戦後、宮崎県に移り住み、29歳で画家を志した異色の経歴を持っています。

美大卒ではなく独学で絵を学び、宮崎県高鍋町で絵画教室を開きました。

ここで多くの若者たちに美術を教え、その中の一人が後に漫画家となる東村アキコさんです。

どき子

漫画と映画の「かくかくしかじか」の物語になっていますね。

日岡兼三さんは、厳しい指導と温かい人柄で知られ、教え子たちから「先生」と慕われていました。

57歳で亡くなるまで、絵画教育と創作活動に情熱を注ぎ続けました。

日岡兼三の家族構成:妻(奥さん)や子供はいた?

「かくかくしかじか」の日高先生のモデル、日岡兼三さんの家族について見ていきましょう。

妻(奥さん)との結婚生活

日岡兼三さんには妻がいたことが、いくつかの公的記録や展覧会の関係者証言から明らかになっています。

2015年に高鍋町美術館で開催された日岡兼三さんの回顧展では、妻が展覧会の準備や運営に協力していたことが報じられています。

また、日岡兼三さんのブログや教え子の証言にも、

「先生が休日に奥さんと過ごしていた」

「先生の奥さんが教室に顔を出していた」

といった記述が見られます。

一方で、東村アキコさんの『かくかくしかじか』には、日高健三先生の家族についての描写がほとんどありません

これは東村アキコさんが「先生と自分の関係」に物語の焦点を当てたかったため、またご家族のプライベートを守るため、あえて家族描写を省いたと考えられています。

実際、東村アキコさんはインタビューで

先生のプライベートはあまり描かないようにした

と語っています。

日岡兼三を支えた妻

日岡兼三さんは、絵画教室の運営や創作活動を続ける中で、経済的に苦しい時期も多かったといわれています。

それでも月謝を値上げせず、どんな生徒にも平等に接していた姿勢は、妻の理解と支えがあってこそ実現できたことだと考えられます。

また、日岡兼三さんは晩年、病床にありながらも教え子たちを呼び寄せ、

「からだが動くうちに作品の整理をしておきたい」

と語ったとされています。

このときも、妻がそばで支えていたという証言があります。

夫婦で支え合いながら、地域の文化や若者の成長に貢献してきたことがうかがえます。

子供はいたの?

日岡兼三さんに子供がいたかどうかについては、公式記録やインタビューに明確な記述はありません

教え子たちの証言や地元新聞の記事などを調べても、「子供がいた」という情報は見当たりませんでした。

日岡兼三さん自身が

「教え子を自分の子供のように育てていた」

と語っていたというエピソードがあります。

教室の生徒たちを「家族」「子供」として大切にしていたようです。

どき子

師弟は家族のような関係にあったのでしょうね。

また、日岡兼三さんの死後、残された作品の管理や展覧会の開催は教え子たちが中心となって行っています。

もし実子がいれば、こうした活動に関わっていた可能性が高いですが、そのような記録はありません。

東村アキコが妻や家族を描かなかった理由

東村アキコさんの『かくかくしかじか』の中では、日高健三先生は独身のように描かれています

物語の中で家族の存在が語られることはなく、東村アキコさんと先生の師弟関係にストーリーが集中しています。

これは、東村アキコさんが

  • 「自分と先生の関係性を純粋に描きたかった」
  • 「先生のプライバシーや家族に配慮したかった」

という意図があったためでしょう。

実際には、日岡兼三さんには妻がいましたが、創作上の理由やプライバシー保護の観点から、家族の描写を控えめにしたと考えられます。

東村アキコさんは「事実を控えめに描いた」とも語っています。

家族の存在をあえて物語から排除することで、より普遍的な師弟ドラマに仕上げたのです。

東村アキコさんの経歴や学歴についてはこちの記事をご覧ください。

日岡兼三の死後の家族や奥さん

日岡兼三さんの死後、2015年には高鍋町立美術館で大規模な回顧展が開催されました。

この際、妻(奥さん)が展覧会の運営に協力し、教え子たちとともに作品の整理や展示を行ったことが報じられています。

現在、日岡兼三さんの作品の多くは個人所蔵となっており、妻や教え子たちが大切に管理しているようです。

なお、2025年時点で日岡兼三さんの奥さんが公の場に登場した記録や、SNSなどでの発信は確認されていません。

家族のプライバシーを守るため、公的な情報はほとんど公開されていない状況です。

【まとめ】日岡兼三さんの家族から見える「人間像」

日岡兼三さんは、妻(奥さん)に支えられながら画家として、また教育者としての道を歩みました。

実の子供はいなかった可能性が高いですが、教え子たちを「家族」として大切にし、人生を捧げてきたことが多くの証言から伝わってきます。

東村アキコさんの『かくかくしかじか』を通して、日岡兼三さんの生き方や家族観が新たに評価され、多くの人の心に残る存在となっています。

どき子

映画館で見たみたいですね。

映画「かくかくしかじか」の上映がいつからいつまでなのか、こちらの記事もご覧ください。


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