東村アキコさんは、「海月姫」や「かくかくしかじか」などで大人気の漫画家です。
独特の感性やリアルな人物描写は、どのような学生時代や学歴から生まれたのか、気になりませんか?
この記事では、
東村アキコの学歴は?出身地の宮崎から金沢の美大へ!恩師もすごい!
と題して、
- 東村アキコさんの小学校から大学までの学歴
- 人生を変えた日岡兼三さんの絵画教室
- 学歴についてどう考えているのか
まで、詳しくご紹介します。
東村アキコさんの人生観や子育て観にも迫っていきますね!
最後までごゆっくりお読みください。
東村アキコの学歴を総まとめ!
では大人気漫画家となった東村アキコさんの学歴を小学校から大学まで詳しく解説していきますね。

私も東村アキコさんの漫画を結構読んでいます!
東村アキコ画業25周年パーティに来ていただいたファンの皆様様、出版社のみなさま、関係各社のみなさま、本当にありがとうございました!!昨日撮った全体集合写真、こちらです!すごいです! pic.twitter.com/xHsbN9dmj7
— 東村アキコ (@higashimura_a) March 13, 2025
小学校時代のエピソード
東村アキコさんは、宮崎県宮崎市立江南小学校に通っていました。
小学生の頃から漫画に強い興味を持ち、漫画クラブに所属していました。
当時から「りぼん」などの少女漫画雑誌を愛読し、自分でも漫画を描いていたそうです。
小学5年生の時には「コロコロコミック」の漫画スクールに1コマ漫画を投稿し、実際に掲載された経験も持っています。
幼い頃から創作への情熱が強く、将来の夢はすでに漫画家だったといいます。

夢をかなえた東村アキコさんがすごいです!
中学校での創作活動
中学は宮崎市立大塚中学校に進学しました。
中学でも美術部に所属し、創作活動を続けていました。
中学時代の東村アキコさんは、クラゲの水族館に感動したことをきっかけにクラゲ好きになりました。
後の代表作「海月姫」にもその影響が表れています。
美術や漫画だけでなく、身の回りの出来事や興味を大切にする姿勢が、この頃から育まれていたのです。
東村アキコは宮崎県トップの宮崎西高校へ!
高校は進学校だったので、東村アキコさんが優秀だったということがよく分かりますね。
美術部での活躍
高校は宮崎県立宮崎西高校に進学しました。
宮崎西高校は県内トップと言われる進学校で、東京大学や九州大学に進学する学生も少なくないです。
東村アキコさんは美術部に所属し、部長も務めていました。
高校時代には「美術部卓球部」を設立し、毎日3時間以上卓球の練習をするなど、ユニークなエピソードも残っています。

充実した高校生活だったようですね!
美術大学進学を決意した理由
高校3年生の時、東村アキコさんは本格的に美術大学を目指すことを決意します。
自分の将来について真剣に考えた結果、「絵を描くことを仕事にしたい」という思いが強くなったのです。
そのため、受験対策として絵画教室に通い始めました。
この決断が、後の人生を大きく変えるきっかけとなったのです。
【高学歴】金沢美術工芸大学へ
そして東村アキコさんは金沢の美大に合格したのでした。
大変に学歴の高い漫画家だと言えるでしょう。
難関美大の油絵専攻
高校卒業後は、石川県の金沢美術工芸大学美術科油絵専攻に進学しました。
金沢美術工芸大学は難関の国公立美術大学です。
美術大学は、東京藝術大学(芸大)がトップで、多摩美術大学と武蔵野美術大学がそれに続く双璧とされます。
金沢美術工芸大学はそれに続く、全国4位とされるすごい美大なのです。
東村アキコさんはこのレベルの高い美大に合格し、油絵の技法や表現を本格的に学びました。
大学時代は映画研究会や民族音楽研究会にも所属し、幅広く活動していました。
油絵制作に苦戦することもありましたが、仲間と切磋琢磨しながら多くの経験を積み重ねたようです。
大学時代の創作活動と漫画家への道
大学在学中は漫画家デビューには至らず、一度は一般就職をしています。
ですが、漫画家への夢をあきらめず努力して、24歳でデビューしたのでした。
大学で培った観察力や表現力、そして多様な価値観に触れた経験が、後の作品づくりに大きく生かされています。
美術大学での学びは、東村アキコさんの人生にとって大きな財産となりました。
美大生が登場する漫画「主に泣いています」が生まれたのですね。
東村アキコは絵画教室で美大受験準備
東村アキコさんは、美大受験のために日岡兼三という画家の絵画教室に通っていました。
この時期のことが、「かくかくしかじか」で詳しく描かれています。
日岡兼三の絵画教室
東村アキコさんが通った絵画教室の指導者は日岡兼三さんという美術教師でした。
日岡兼三さんの絵画教室は、宮崎市内で美術大学を目指す多くの生徒たちが集まる名門教室として知られていました。
厳しい指導方針で有名でしたが、生徒の実力を大きく伸ばすことで評判でした。
日岡兼三さんの絵画教室からは、多くの美術大学合格者やクリエイターが生まれています。
東村アキコさんもその一人です。

東村アキコさんにとって大切な恩師との出会いですね!
厳しくも温かい指導と学び
日岡兼三さんは、東村アキコさんに対しても非常に厳しく、時には涙が出るほどの指導を行いました。
ですが、その厳しさの裏には生徒への深い愛情と期待がありました。
東村アキコさんは「かくかくしかじか」の中で、日岡兼三さんとの出会いが自分の人生を変えたと語っています。
絵の基礎だけでなく、努力することや諦めない心の大切さを学んだといいます。
日岡兼三さんの教室での経験が、漫画家としての表現力や粘り強さにつながっているのです。
日岡兼三さんは2014年に他界されています。
*日岡兼三さんは「かくかくしかじか」のなかで「日高先生」として描かれています。詳しくはこちらの記事をご覧ください。

東村アキコにとっての「学歴」と息子への思い
東村アキコさんには20歳になる息子さんが一人います。(2025年時点)
子育ての方針としては、学歴そのものにこだわるのではなく、子どもの個性や時代に合った選択を大切にしてきました。
息子さんの進路についても、「親が道を示すことも大事」としつつ、
「本人の意思を尊重し、好きなことに挑戦できる環境を整える」
ことが親の役割だと語っています。
息子さんは韓国の大学に進学していて、東村アキコさんはその夢を応援しています。
*映画「かくかくしかじか」の上映はいつからいつまでなのかについては、こちらの記事をご覧ください。

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